山元町社会福祉協議会・やまもと復興応援センター
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「ボラサポ」と「のサポートを受けています」の回転(助成決定団体用)

宮城県、山元町復興募金作品【心声―ココヘ―】 ※収益は町への復興支援に
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 ほほえみみやぎtwitter

山元町山下駅前「居酒屋源さんボランティア本部」時代。

2012年12月16日 赤坂BLITZ

同年   12月18日 心斎橋BIGCAT

で行われた石橋凌さんの「SHOUT of SOUL」ワンマンライブ会場にて

ブース出店した際に私たちボランティアがお配りしたプリントです。

 

当時の「魂」「えにし」を忘れないためにここに置いておきます。

【宮城県亘理郡山元町から】

JR山下駅前に地域に根ざした、若者の多く集まる「山下駅前・居酒屋源さん」がありました。町民の交流の場としての集会所的な役割や、明日を、そして未来を夢見、語る若い男女の出会いの場でもありました。

2011年3月11日。東日本大震災による大津波で、海岸から約1.5㎞の場所にあった我が「居酒屋源さん」は、2m超の濁流にのみ込まれ、住居兼店舗は 全壊しました。約6年続けてきた俺の店は一瞬で無くなったのです。地震から15分後、当時6歳だった娘を車で数分の場所にある「山元町立東保育所」に迎え に行きました。しかし、13名の子供達と職員が避難出来ず、うち3名の幼い命が犠牲になってしまいました。『保育所の子供が行方不明…』『老人介護施設 が…』『自動車学校の生徒達が…』避難所になっていた山元町役場を走り回る間、沢山の信じたくない、聞きたくない会話ばかりが飛び交っていました。
震災から5日後、3月16日に俺は初めて浸水域の自宅周辺まで足をふみ入れました。そこで平和だった素朴な町の変わり果てた姿を目にし、呆然とする間も無く、ただひたすら走り、ご遺体を収容し、ヘドロをかき出しました。信じられない気持ちのまま。。。
ボランティア活動を始めるきっかけは、この日にありました。

2011年春。凌さんのHPから曲が流れてた。
“ONE MORE TIME,ONE MORE CHANCE もう一度明日に賭けよう”
我々に向けて歌ってくれているような感じがして、涙が止まらなかった。
まだタイトルもついて無く、映像は夕焼けと日の出だけだった。

2011年夏。独断で「東保育所」に廃材をかき集めて作った粗末な献花台を置き、500円で買ってきた花を置き、線香をたむけました。『子供達(おまえ ら)、待ってろな。今に若菜のパパがこの町を直してやるからな!見てろよ!』次の週から「東保育所」には沢山の生花やジュース類、お菓子等が供えられまし た。そして現在に至るまでも絶えた事がありません。

山元町は町の約半分の土地が浸水、人口17,000名のうち670名が犠牲となり、死亡者数割合としては、全被災市町村の中でも3番目に高い町になってし まいました。ただ山元町はテレビ報道などが少ないため、あまり知られていないのです。とり立てて大きな産業もなく、JR常磐線の停車場機能のおかげで、仙 台都市圏へのベッドタウンとして人口を増やした町。しかし、常磐線の早期復旧も程遠く、多くの住民は『町に残るべきか、別の町に移り住むか』等の選択を今 もせまられています。

そんな中、「居酒屋源さん・ボランティア本部」には週末になると、全国から個人ボランティアが集まります。ヘドロだらけの家屋の床はがし、壁の解体、庭の 整地や、農地のガレキ撤去、ヘドロ出し等、毎月、毎週、札幌から九州まで全国から集まって来てくれます。NPO等の団体ではありません。国からの助成金を 受けず、すべて個人ボランティアの身体と気持ちを持ち寄り、人としての正直な心、知恵、野良ボラの魂で作業を続けてきました。もしかしたら、今、庭の整地 作業をさせてもらっている家主さんだって、来月、町を離れてしまうかも知れない。それでも震災前に長年暮らした町、家、風景をもう一度見てもらいたくて、 家主さんに明日への希望や喜びを感じてもらいたくて、ただひたすらスコップを振るい、土・袋を積み上げて来ました。沢山の仲間たちと。

中学生の頃から憧れた男、石橋凌。今こそ、この方の歌声こそが天国に行った保育園児や町民の魂を癒し、揺さぶり、奮い立たせて暮れるものだと信じました。 スタッフさんを通じて凌さんに『町にはまだ前を向けない人が大勢おります。私もその一人だと自覚しなければいけないのですが、独自のボランティア活動をし ている関係で、お年寄りから若い人まで接する機会が多いのですが、みんな明るく振る舞っています。しかし心の中は深く傷ついて、本当はボロボロなんだろう な、と感じています。いつもの、凌さんでお願いします。町のみんなを少しでも前を向かせる事ができると、自信があります』とお願いをしました。2012年 7月2日。石橋凌さんの山元町訪問とライブが実現しました。

今日も。
震災から1年9ヶ月が過ぎた今、報道も少なくなり、あたかも東北はもう復興したような、過去となっている感もあります。しかし、山元町には毎週末になると 個人のボランティアが「居酒屋源さん・ボランティア本部」の旗の下に集まってくれています。少しでも町が再生できるように願い、笑顔でスコップを持ち、庭 を整地し、ガレキを撤去し、汗を流し、日が暮れるとそれぞれの町に家に戻っていきます。俺たちにできる事はその程度です。それでも毎週、同じ活動をしてき ました。来週も、来月も、来年も、誰かのために、自分の出来る事を続けていくこと。それだけ。
まだ、まだ復興なんかしてない。終わってなんかいない。

被災地の小さな町の、小さな個人ボランティアの稚拙な文章に目を通して頂いてありがとうございました。町で出会えることを祈って。

宮城県山元町山寺字頭無197-2
居酒屋源さん・ボランティア本部
源さん&野良ボラ一同